Contents
- 1 【効率性・生産性・合理性】「若者は10分間のYouTubeすら耐えられない」加速する"可処分時間レース"の行き着く先・・ニュースのはんのうまとめ!
- 1.1 ■演劇を鑑賞する客層が高齢化している
- 1.2 ■今の若者は「効率的」に生きることを求められている
- 1.3 ■限られた時間で「ノルマ」のようにコンテンツを消費する
- 1.4 ■じっくり鑑賞するコンテンツは「効率性」と相性が悪い
- 1.5 ■「コンテンツ消費」の様式が世代ごとに違う
- 1.6 ■YouTubeで人気なのは「30秒~1分間」の動画
- 1.7 ■10分程度の動画でも「見ていられない」
- 1.8 ■「ファスト映画」が流行ってしまったのには必然性がある
- 1.9 ■「効率性・生産性・合理性」を求める時代精神のあらわれ
- 1.10 ■このラットレースには、いずれ揺り戻しが来る
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【効率性・生産性・合理性】「若者は10分間のYouTubeすら耐えられない」加速する"可処分時間レース"の行き着く先・・ニュースのはんのうまとめ!
(出典 assets.media-platform.com)
「今の若い世代は、効率性、生産性、合理性を求める時代精神とともに生きてきた。短時間で消費できるコンテンツの台頭はその時代精神の象徴である」という言葉よくわかるような気がします。
短時間で多数のメディアを巡回して情報を得たいというのは、私たちも同じで、昔のようにじっくり小説などを楽しむという気質は、だんだんなくなってきているのかもしれませんね。
行きつく先は・・・・・
「ゆっくりと生きてもよい」と気づく生活に戻すためには、どんなことが必要なのでしょうか?
■演劇を鑑賞する客層が高齢化している
あるとき、演劇業界に在籍するという読者から、かれが身を置く業界の行く末を憂慮する手紙を受けとったことがあった。コロナによる興行中止や規模縮小のあおりを受け、数字でも目に見えて業界はいま苦しい状況にあるが、それとは別に憂慮すべき「懸念材料」が、このパンデミックが始まる前からあったのだという。
すなわち、客層の高齢化である。
手紙の送り主は、いまの主たる顧客がいなくなってしまえば、それと一緒に舞台芸術も商業的に成り立たなくなってしまうのではないかと不安を綴っていた。そして「なぜ若者は舞台芸術に親しまなくなったのでしょうか?」と締めくくられていた。
舞台の観劇にやってくるのは、実際のところ中高年世代が中心であり、20~30代の若い世代は(マンガやアニメ作品とのメディアミックス的な位置付けであるいわゆる「2.5次元」と呼ばれるジャンルを例外として)たしかに舞台鑑賞を趣味にしている層は少ないだろう。
■今の若者は「効率的」に生きることを求められている
舞台や演劇がつまらなくなったからではない。演者や脚本の質が低下して、業界が地盤沈下を起こしたとか、そういうことではまったくない。むしろ業界の質はむかしよりいまの方が向上している部分も大きいだろう。それでも、現状のままでは生き延びていくのは難しい。長期的展望で見たとき、衰退は避けられない。いまのままでは、いまの顧客である中高年層の退場にともない、いずれ本当に市場どころか文化そのものが消え去ってしまっても不思議ではない。
これは、演劇業界のせいではなくて、社会構造や時代精神の変化の影響が大きい。
若い世代の多くは娯楽として演劇や舞台をあえて選ばない。それは演劇がつまらないからとか、舞台芸術がわからないからとか、そういうことではない。いまの若い世代は「効率的」に生きることを否応なしに求められているからだ。
かれらはつねにタスクが詰まった忙しい日々のなかで生きている。けっして潤沢に与えられているわけではない有限の可処分時間のなかで、インターネットやソーシャルメディアを介して、毎日大量に供給される娯楽コンテンツの消費に追われている。
■限られた時間で「ノルマ」のようにコンテンツを消費する
若者たちは学業や仕事に打ち込むかたわら、YouTubeやTikTokやInstagramに毎日大量にアップされるお気に入りのインフルエンサーによる新着コンテンツの消費を急かされている。それらのコンテンツを楽しんで終わりではなくて、そのコンテンツをもとに友人たちとコミュニケーションを取っている。かれらはもちろんそうしたライフスタイルを楽しんではいるのだが、はたから見ればコンテンツの効率的な消費を「ノルマ化」されているようにも見える。
世の中にすでに存在している娯楽コンテンツの総量はすさまじく、またソーシャルメディアやコンテンツプラットフォームが普及したことによって、だれもが気軽にクリエイターになれる時代となり、毎日の娯楽コンテンツの供給量も加速度的に増大している。すでにひとりの人間の寿命すべてをコンテンツ消費に回してもまったく足りないほどになっていると言っても過言ではない。
与えられた時間のなかで、できるだけたくさんの「楽しい」をコスパよく回収してまわる――効率的に最適化されたこうしたコンテンツ消費スタイルが、いまの若者たちにはごく自然な生活様式として共有されている。
■じっくり鑑賞するコンテンツは「効率性」と相性が悪い
現代社会の若者たちのコンテンツ消費に対する見方は、多くの既存の娯楽コンテンツときわめて相性が悪い。演劇や舞台はその最たる例のひとつだろう。
少なく見積もっても、演劇や舞台はおおよそ2時間~3時間は座席に拘束されていなければならない。長編だとそれ以上になる。「効率的」に生きることを求められる若者たちにとって、それはあまりにも長すぎる。かりに3時間もあれば、その間にスマートフォン越しに膨大なコンテンツを消化することができてしまう。
演劇は娯楽コンテンツとしての質が劣っているのではなく、いまの若者たちのコンテンツ消費のスタイルとの相性が「効率性」の観点からあまりにも悪すぎるのである。だからかれらは(若者文化の代表であるアニメやマンガの延長である場合を例外として)劇場にやってこない。ひとつの娯楽について「ゆっくり楽しむ」ことを厭(いと)わないライフスタイルを確立した中高年層がもっぱらになる。
■「コンテンツ消費」の様式が世代ごとに違う
中高年世代はいまほど娯楽が豊富にあるわけでもなければ、迅速な通信が可能なデジタルツールもない、いうなれば選択肢の乏しい時代に多感な時期を生きた。それが幸運にも、ひとつのコンテンツをじっくりと鑑賞し対話するという消費スタイルを養った。若い世代と比較してどちらが良い悪いという話ではなく、コンテンツ消費の様式の世代ごとの違いの問題なのだ。
ひとつ楽しむために時間的にも身体的にも長大な拘束が発生してしまうコンテンツはいま、ごく少数の例外をのぞいて軒並み苦境に陥っている。一方で、YouTubeやTikTokなど短い時間で楽しむことができ、なおかつ身体的拘束も受けずどこでもリラックスして楽しめるコンテンツおよびプラットフォームは需要がうなぎ上りになっていて、「コスパのよい生き方」を好む若者たちの可処分時間の奪い合いを演じている。
■YouTubeで人気なのは「30秒~1分間」の動画
若者たちに人気を集める動画投稿プラットフォームであるYouTubeでは、ますます「効率性」への先鋭化が進んでいる。
YouTube内で、新たなトレンドの中心にあるのは「ショート動画(Shorts)」と呼ばれる、ひとつにつき長くても30秒から1分間の動画群であることは、上の世代の人びとにはあまり知られていない。
これまで数十分以上の動画を主として配信していたHIKAKINをはじめとする著名なYouTuberたちもこの潮流に対応している。数十分の長さの通常動画のほかにも、数多くの「ショート動画」を断続的にリリースしている。それらも通常動画と同じかそれ以上の再生回数を叩き出す。以前なら、視聴者が数分から数十分見続けなければやってこなかった「楽しさ」が、数十秒に凝縮されて提供される。これほど効率的なものはない。しかも近頃では、通常動画も倍速で視聴されていることがもっぱらだ。楽しい動画を見ているときにさえ、若者たちは《なにか》に追われている。
■10分程度の動画でも「見ていられない」
若者はもはやYouTubeの10分程度の動画でも「長い」「見ていられない」と感じるようになっている。それくらいに切羽詰まった毎日を生きている。かれらは「楽しみ方や攻略法を試行錯誤の末に発見する」とか「楽しいと思えるものが見つかるまで、そのジャンルにとどまり続けて、まだ見ぬ作品を試行錯誤して掘り出していく」といった作業をあまり好まない。いや、好まないというか、そんな時間的・精神的余裕がないからできない。
お気に入りのクリエイターやインフルエンサーが発信するコンテンツを効率よく周回しなければ、次のコンテンツがまた大量にやってきてしまう。試行錯誤したり、立ち止まってじっくり考えたり、考察を深めたり、同好の士と夜通し議論を交わしたりする時間はどんどん失われている。さながら、泳ぐのをやめれば息が詰まってしまう鮫(さめ)のように。
■「ファスト映画」が流行ってしまったのには必然性がある
昨年に摘発されて一斉に消滅し、逮捕者まで現れた「ファスト映画」とされるジャンルが一時期のYouTubeで大流行したのも偶然ではない。「ファスト映画」とは映画を(実際の映像や静止画を用いながら)10分程度に要約するものだ。
映画をじっくり鑑賞せず、ストーリーとそのオチだけをとりあえず知っておこうというのは、「映画を鑑賞する」という行為を真っ向から否定する営みであるようにしか思えない。なぜこのようなジャンルが流行してしまったのだろうか。たとえ映画が好きではなくても人生でいちどは観ておくべきだとよく言われる古典的名作や超大作の「さわり」を大まかに知っておくことで、効率的に映画の知識や教養を獲得したいと考える忙しい若者たちのニーズがそこにはたしかに存在していたからだ。
「ファスト映画」の流行は、その法的・倫理的な是非はともかくとして、社会から効率的かつ生産的に生きることを求められている若者たちのおかれた状況を考えれば、ほとんど必然的なものだっただろう。
「ファスト映画」が刑事的問題となって駆逐されたいま、新しい開拓地は「ファストゲーム」だ。クリアするまでに多大な時間を要する大作ゲームのストーリーシーンだけを集めて「自分でプレイし終えた」気分にさせてくれる動画に多くのニーズが集まっている。クリアまで50~100時間もかかってしまうような家庭用ゲームの最新作を、いまの若者世代は時間的にも気力的にも満足に遊べなくなった(忙しい社会人現役世代もそうかもしれない)。
■「効率性・生産性・合理性」を求める時代精神のあらわれ
いまの若い世代に「試行錯誤を楽しむ」「紆余(うよ)曲折を楽しむ」「長期滞在を楽しむ」という時代に逆行するスタイルを要求することはきわめて難しい。かれらのメンタリティーがそうであるからというより、そのような「ゆっくり楽しむ」意志を持つことを、スマートフォンやそこから接続されるプラットフォームがゆるさないからだ。尻を鞭で叩き、次はこれを楽しめ、あれを楽しめと絶え間なくサジェストし、かれらを次々と消費に導いていく。
効率的であれ、生産的であれ、合理的であれという時代精神とともに生きてきた若者は「無駄を楽しむ」「ゆっくりと楽しむ」「失敗を楽しむ」という営みにしばしば苦痛を感じてしまう。「こんなことをしている場合じゃないのでは?」と焦燥感に駆られてしまう。YouTube、ショート動画、切り抜き動画、ファスト映画、TikTokなどの台頭は、「効率性・生産性・合理性」が人間の価値を測る時代精神の鏡映しである。
演劇や映画や文学が、これからの時代でも淘汰(とうた)されずにプレゼンスを確立し、人間社会を澪引く役割を担うためには、「効率性・生産性・合理性」だけが人間の価値のすべてではないことを、その表現内容だけでなく、鑑賞行為をも含めて一体となって訴えていく必要があるだろう。
■このラットレースには、いずれ揺り戻しが来る
私たちは、本来ならば目まぐるしい日々のなかに挿入する息抜きであるはずの「娯楽を楽しむ」という営為にさえ、多かれ少なかれ向社会的で合理的な処理能力の優秀さを発揮しなければならなくなった。いついかなるときも「優秀」であることを求められている現代人に「別解」を提示できるのが芸術や文学だ。
演劇や芸術のこれからの役割は、YouTubeやTikTokと同じ土俵に上がって可処分時間を奪い合うことではない。「可処分時間を有効活用せねば、社会の正道にいる人間とは認められない」という構造そのものに相対的視座を明確に示し、これに風穴を開けることだ。
1分1秒を惜しむ「娯楽消費」のラットレースは加速している。人びとはこのレースに疲れて、いつか揺り戻しがやってくる。揺り戻しがやってきたときに、受け皿がまったく消滅しているのではどうしようもない。ひとりでも多くの人が「ゆっくりと生きてもよい」と気づくためには、演劇をはじめとする文化や芸術は不可欠になる。
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文筆家・ラジオパーソナリティー
会社員として働くかたわら、「テラケイ」「白饅頭」名義でインターネットを中心に、家族・労働・人間関係などをはじめとする広範な社会問題についての言論活動を行う。「SYNODOS(シノドス)」などに寄稿。「note」での連載をまとめた初の著作『矛盾社会序説』を2018年11月に刊行。Twitter:@terrakei07。「白饅頭note」はこちら。
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<このニュースへのネットの反応>
優秀な若者は、スマホやyoutubeに振り回されたりせんよ。振り回されてるのはFランだけでしょ?だったら問題ないじゃない。もともと彼らは搾取されるための存在なんだし。
見る物の内容次第では数時間もあっという間だし。あと2時間かけて伏線や謎を楽しめる作品を5分で見て堪能できないとしたら、それは無駄な5分でしかなく、有意義に2時間使うよりも非効率的だと思う。(学習なんかでも一夜漬けのその場しのぎみたいなのが同様だろうけど)
違うと思う。コンテンツへの期待と信頼があれば腰を据えてみるよ。つべのサムネみたいにキャッチコピーを大きく表示するようなのは詰まらなそうだったら即切りマイナス評価ぽちー
機械的にコンテンツをかっこんでるようで見ていて気持ちのいいものではないね。一時のオタクの知識的守備範囲が広いのが正義のようで
今でもガンパレ起動したらうっかり二時間経過と*るおっさんが言ってやる。 「長時間見続けられるだけの魅力がない」に尽きる。
単にニーズにあわせてコンテンツが置き変わるだけだろ。ソシャゲよろしくチャンネル多数回してる層がなめて回るのに需要あるだけで既存コンテンツが廃れてるでもなし。広告の都合もあるし最終的にほどほどのジャンルとして定着して住み分けが勝手にできる
Vの長時間耐久配信をずーっと見てる連中がいるところをみれば、コンテンツの魅力次第ってことに尽きるのでは。演劇も内容やら見せ方やらをちったぁアップデートしてみれば?
「例のシーン」だけ見れたら、全体はいらないって判断かもな。(そのシーンだけ知ってて映画の中身は知らないって話になる....)
若者だろうと往年だろうと、視聴者を惹きつけるほどの魅力がある面白い動画だったら10分だろうと1時間だろうと楽しんで観賞しますよ。逆につまらない動画だったら、10分どころか5分もしないうちに退屈→別の動画に移動、ってことになるけど。
訂正:往年→中年
気にするような事か?
私はニコニコニュースで某メディアに対してコメントを残すのが趣味です。
単純に「コンテンツの内容を他の人と共通の話題にしている」という人種がコンテンツ消費に追われてるだけじゃね?ドラマを見て次の日に感想を言い合うような、そういう人達が時代の進化に追われてヒィヒィ言ってるだけだと思う。
Youtubeは1分おきくらいに広告入るから10分でも苦痛
…それって合理性とかの問題か?
逆に考えれば結論を述べてから概要に映るという社会人必須の常識が身に付くかもな。
なんだこの妄想で決めつけてから書き始めたような駄文。
演劇を見に行こうとなる前に色々コンテンツが存在するからそれを選択する若者が減ってるだけで10分も見れないとかそういう事では無いと思う。 客が高齢化してるのは一回でも見に行ってまた見ようと思われる物でもそもそも若者は一回も見に行って無いのが殆どなのでは、見ればまた見たいと思わせる自信が有るなら一見さん限りの格安プランとかやってリピーターを獲得すれば?
プレオンは日本に対して10秒も耐えられなさそう。
1,高い 2,昔の若者と違って他人から押し付けられたものがいいと思っていない 3,自由な時間に手軽に楽しめない 4,そもそもきっかけがない この辺かな? 同じ舞台でもテニミュとかワンピース歌舞伎とかはある程度人気だしな。 ライブとかも盛況なものはあるし、昔だって若者はクラシックなんぞ聞かずにロックコンサートに行った、それと同じ
要約「俺たちの作品が大衆から注目されなくなったのは決して作品が詰まらないわけではなく、大衆のニーズの変化のためだ!いずれ時代が変われば大ヒットするからスポンサーの方々、どうか見捨てないで!」
面白い動画なら一時間でも見るぞ?
映画は2時間でも見られてるんだから「長いから」は理由にならなくね?
それに演劇が本当に面白いなら、演劇おもしろ場面切り抜き動画(5分)とかどんどんアップして布教していけばいいと思うんだけどな。Vtuberだって最初は切り抜きから入った人多いだろ。
単に10分以上見れるような面白い動画が無いだけでしょ。
う~ん・・・自分みたいなのは中田敦彦の動画とか肝心なとこ押さえてないなとか思うけど、あの程度でも知らんよりましだ。非ネット世代は毎日一冊本を読んだり長期休みには映画を見耽ったり僻地を旅したりしたものだが、そんなん人に勧めんわ
演劇がスマホで観れないから。情報の入口が無いなら衰退は必然。
面白いかどうかもわからないものにお金や時間を割きたくないっていうのはどの娯楽でも同じだと思うよ
俺もおっさんだけど演劇なんて見たことねぇぞ
広告入れたいんだろうけど動画の尺取りで不要な茶番など引き延ばしが多すぎる。その点ショート動画は見たい物だけですぐ終わるのが好まれてるんじゃないかな
長く質のある作品を作るのは難しいという事なのでしょう。大抵は無駄なシーンがいっぱいありますし。
舞台見るくらいなら映画見るでしょ常考。 舞台は俳優の比重が大きいけど、俳優に興味ないし。
「若者は〜」で始まる文章は、大抵自分達のコンテンツが見向きもされないことを若者に責任転嫁してるだけなんだよなぁ
開始10数秒で観る気が失せる番組だってあるし、録画したのをぶっ続けで観たいのもある。結局は自分にとって魅力的であるかどうかでしかない
動画視聴なんて娯楽の領域で合理性とかコスパとか考えてねえよ。ただ動画途中の広告はマジでテンション下がってせっかくの娯楽の時間がぶち壊されるんで、そのせいで面白い動画であっても長いのが避けられる一因にはなってると思う。
アニマルビデオを飛ばし飛ばし見るってやつか!
ファスト映画が流行ったなら、とりあえずファスト演劇作って演劇に話題が出るようにすればいいのでは?効率的で10分も見ていられない若者が悪いと思っているなら、演劇はもうどうしようもないのでは?
~やり方とか解説動画で3分で終わるところを20分とかに引き伸ばしてくる動画は本当にイライラするので見てられない。ツベの動画はだいたいこれ。
いまだにテレビCMって一つ15秒を何本も見せられんだろ?テレビが時代遅れになったのも道理だな
長い番組を観てられなくてザッピングとかうちの爺さんも良くやってるから、飽きっぽい性格が出てるだけじゃねえの?
スマホで移動中とかなんかの合間に出すら動画見始めたから短い動画の需要が伸びただけでしょ?舞台なんて元々地味で下火だったものが「2.5次元」で若者に人気になってるのにそれを除く意味も分からん
というか、若者自身が魅力を感じようとする感性がないんじゃないか。とにかくシェア。個人を優先しながらも集団心理を持ちたがる。未知のものへの期待より雑な既知の共有。自分の意見なんてもんがない、とか。
どこかで最近の若者は読解力が無いからそれが必要な要素であっても長文だと読むのを嫌がり、内容については要点や結論のみを求めてるって見たがこれも似たようなものなのかね?
それは貴方の感想ですねw。つまらなかったら速切りは当たり前。面白いコンテンツは時間が忘れて観てしまう物なんですよ。
老害の泣き言~w
会社の新卒オタク達は平気で1試合5~10分以上かかるシューターとかmobaとか平然のやってるけどなぁ…。彼らは若者ではなかった…?
う~ん、言っちゃ悪いですが、演劇って昭和以前、映画が台頭した時点でビジネスとしては破綻し、趣味の世界になってやしませんでしたか? そして映画→テレビ→動画サイト。とメインストリームが変遷してきていると認識していますが。Youtubeでショート動画が流行ってるのは上で言われているように広告のウザさが原因で数分の動画でも非プレから敬遠されるのが原因でしょうね。
そこまで言うならyoutubeでショート演劇動画でもやればいいんじゃない?
お年寄りによる「若者は~」というレッテル貼り飽きた
時間じゃなくてPRをサボったツケだろうね。娯楽は昔は売り手市場で客の方から探して来てくれただろうけど、今は自分から売り込みにいかないと存在に気付いてもらう間もなく他所にとられて終わりですよ。今ならSNSを有効活用しないと
敢えて客入ってるアニメ漫画原作劇(所謂2.5次元)を抜きにして、演劇鑑賞層の高齢化?当たり前じゃん、若い人に全くアピールしてないんだから。選択肢が少ない時代じゃないんだぞ?なのに旧来の内向きな姿勢で新しい努力も広報もせず「若者が演劇観ないのは堪え性がないから」って…バカか?
面白いRTA動画なんかは何時間のでも日数分けてでも全部見ちゃうけどねえ
その【10分程度の動画】でもちゃんと台本作って尺も演出も考えられて撮影編集された動画なら全然見れるよ。でも大半が素人が「あの、えっと」みたいな助詞だらけでダラダラと纏まりない論調で喋ってるのを10分近く聞かされるのは唯々苦痛なんですわ。いいから結論話せやって思う。
投稿者が直接喋ってる動画は話そうと思ってることをダラダラ喋ってるだけでとても人に聞かせるレベルじゃない動画多いですよねえ、ゆっくりとかボイロを使ってる動画は一度文章化されてから音声出力されてるのでまだ話の内容が推敲されて纏まってる動画が多い印象を受ける。
「娯楽だ」というなら、望まれるものを提供しなきゃね!
10分の動画に耐えられないんじゃなく、1分で終わるような内容を10分に引き伸ばしておきながらトークも別に面白くない薄め切ったカルピスみたいな動画を切り捨ててるだけだぞ。
共感の時代にあっては、自らの内のみでゆっくりと嗜む娯楽はもはや初期投資に対するリターンが見合ってない感がある。
今の若い奴らって娯楽が作業になってんの?結局何が楽しくて動画とか見てんの?動画追ってないと*ヤツばっかなん?