【給付型奨学金】「むしろ高所得世帯にバンバン振る舞ったほうがいい」親の年収で制限するおかしさ・・ネットの反応まとめ!
日本は学生の頃の貧富の差で将来の収入差が生まれているという現状の中、給付型奨学金は、貧しくても私立大学や専門学校で学んで収入の底上げをしましょうという制度です。
「将来の日本を担う子どもたちへの投資において、親の所得によって制限を設けることはナンセンスであると考えています。
未来の宝を育てる国家戦略に、親の経済力など関係ないだろうと。
そして返済不要の給付型の奨学金は、成績優秀者に限定した方がいい。
その理由は、国の奨学金の原資は国民の税金であり、ならば費用対効果がより大きいと思われる対象に絞るのが筋だと考えるからです。」・・・
みなさんはどう思いますか、一理あるが、納得できる内容とは思いません。
給付型奨学金は学びたい気持ちを応援する制度であってほしいです。
■世帯年収380万から600万円の家庭への支援を検討
私自身、高校と大学を旧日本育英会の奨学金を利用して進学しました。
卒業後はすぐに就職が決まらなかったため返済猶予制度を利用して返済を遅らせてもらいましたが、15年かけて完済しました。
奨学金のおかげで東京に出てくることができたので、奨学金には感謝しています。
そういった経緯があり、奨学金に関するニュースには敏感なのですが、政府の「教育未来創造会議」(議長=岸田首相)が5月にまとめるという提言の報道内容に強い違和感を覚えました。
学生支援機構が提供している公的な奨学金は現在、住民税非課税か年収の目安が約380万円未満の世帯が対象の給付型と、約1100万円以下の世帯が対象の貸与型があります(実際は年収ではなく所得によって決まりますが、わかりやすい目安として年収で表記しています)。
報道ではこの制度を拡充し、たとえば学費が高額になりがちな理工農学部系の学生や、子どもが3人以上の多子世帯を対象とし、世帯年収の目安が380万~600万円の家庭への支援を新設するそうです。
また、国が大学などの授業料を肩代わりし、卒業後に一定の年収を超えたら所得に応じた額を返済する「出世払い」方式も検討されているようです。
■子どもの教育投資に親の所得は関係ない
これは中間層への「媚び」に感じます。
以前の記事(「児童手当無し、高校無償化も対象外」高所得者への“子育て罰ゲーム”が少子化を加速する)でも述べたことですが、将来の日本を担う子どもたちへの投資において、親の所得によって制限を設けることはナンセンスであると考えています。
未来の宝を育てる国家戦略に、親の経済力など関係ないだろうと。
そして返済不要の給付型の奨学金は、成績優秀者に限定した方がいい。
その理由は、国の奨学金の原資は国民の税金であり、ならば費用対効果がより大きいと思われる対象に絞るのが筋だと考えるからです。
むろん福祉などのように見返りを期待するものではなく費用対効果という考えがそぐわない分野もありますが、教育は国家の未来への投資ですから、リターンの見込める対象に投下すべきでしょう。
その指標となるのはやはり成績です。
ペーパーテストかAO入試かなど選抜方法が違ったとしても、現在優秀であることは、学問や探求に熱心であり今後の学習でも大きく伸びる素地があるという一定の担保になるからです。学校独自の給付型奨学金や海外の大学のスカラシップも、基本的に成績優秀な人を対象としています。
もちろん入試時点に限らず大学で一生懸命勉強して成績が上がったならば、給付対象にすればいいのです。
■子ども3人・年収上限600万円という謎基準
国の未来への投資である奨学金の給付において、子ども3人で年収上限600万円などという基準を設けるのは、おかしなことです。
子が多くても少なくても、親の所得が多くても少なくても、本人が優秀で学業意欲が高いならば給付対象にすればいいし、そうでないなら一般の貸与型でいいと思います。
仮にこれが未来への投資ではなく、少子化対策ということであれば、ある程度の啓蒙効果はあるとは思いますが、これだけではあまりに中途半端です。
それこそ以前紹介したハンガリーのように、4人以上産んだら生涯の所得税ゼロ、保育料ゼロ、住宅購入補助金支給、新車購入補助金支給、学費ローン返済減免など、親の所得に関係なく「子を増やせばこんなにメリットがあるよ!」という広範な政策パッケージが必要でしょう(子なし世帯や独身・高齢者から不公平だという批判が出るので、票田を失いたくない今の政治家にはできないのですが)。
■学問に適性がないなら貸与型で十分
一方、親がお金を持っていようとなかろうと、勉強がそれほど得意でない(あるいはそれほど熱意がない)人にまで税金を投じるのは、投資に対するリターンが低いと考えられます。
かつての私のように(私も貸与型でした)、進学意欲はあるけれどもさほど優秀ではない(勉学に適性がない)人間には、貸与型の奨学金で十分でしょう。
昨今は奨学金の返済に苦しむ人が増えていることから奨学金悪玉論に傾きがちですが、貸与型でも利子がない第一種がありますし、利子が付く第二種であっても金利は0.268%(令和3年度)と格安で、しかも無担保で15年とか20年間も借りられるという大盤振る舞いです(連帯保証人と保証人は必要)。
事業者の私から見れば悪質な学生ローンどころか、とても優遇されている制度だと感じます。
■奨学金のバラマキは“なんとなく進学者”を増やす
そもそも社会で生きる力は、高校までの学習でも十分身に着けることができます。
それ以上の高等教育は本人の自由意志に基づく選択であり、自由には責任が伴います。
その責任のひとつが、奨学金を借りて進学したなら卒業後は返済するということですから、返済に資する職を得るには、在学中の相応の努力が求められるでしょう。
そういう覚悟と強い意志があって進学するのなら問題はないと思います。
実際、ほとんどの人が完済しているのですから。
しかし今回のような奨学金のバラマキは、「とりあえず大学は出ておかないと」「周囲が進学するから自分も進学する」「就職に有利だから」「親が行けというから」といった「なんとなく進学者」を増やすように思います。
そういうなんとなくの進学では、在学中もなんとなく過ごしてしまい、何ら武器になるスキルや経験を身に付けておらず就職活動で苦労する、あるいは返済可能な収入を得られる仕事に就けない人を増やしてしまいかねません。
そう考えると、将来一定金額以上の収入に達したら返済が始まるという「出世払い方式」が有効なのか疑問です。
主婦(主夫)が配偶者控除から外れるのを避けるために、パートなどのシフト調整をして年収を抑える人がいるように、返済義務から逃れようと収入が低いままでいいや、という人が出るかもしれません。
だとしたら、借りられるだけ借りて自己破産されるようなもので、ムダ金になってしまいます。
■学問だけが人間の生きる道ではない
そもそも生きていく方法は大学進学だけではなく、勉強が不得意とか学業が優秀ではなくても人生を切り拓くことはできます。
スポーツやクリエイティブ分野など、学歴や学業成績が問われない職業はたくさんあります。
学問以外のところで本人がやりたいこと、適性がある世界を探せばいい。そういう多様な仕事、多様な働き方ができる社会の方が健全でしょう。
■通信制大学や専門学校の選択肢もある
奨学金を借りるのに抵抗があるなら、大学には行かず高卒で就職してもいいし起業してもいい。
即戦力となる技能が身に付く、もしくは公的資格が取得できる専門学校もあります。
大卒資格が欲しいなら安価な通信制大学もあります。入試のハードルも低くいつでも学習できますから、勉強したいという信念が本物ならこれでも大丈夫でしょう。
仮にそれで大企業に就職できなかったとしても、中小企業からスタートして実力をつければ、転職で大手有名企業に入ることは可能です(それが望ましいかどうかは別として)。
あるいは、たとえば防衛大学校や海上保安大学校、気象大学校などでは学費はタダでお給料までもらえます(こちらはある程度の学力が必要です)。
防大は将来の幹部自衛官を育成する全寮制の士官学校で、身分は国家公務員。学生生活はハードだそうで卒業後は原則任官ですが、国防に関心のある人は選択肢に入ると思います(漫画『あおざくら防衛大学校物語』二階堂ヒカル著 参照)。
■「大学を出ておかないといけない」は本当か?
いずれにしても、高学歴でも貧困に陥ったり職を失ったり、あるいは挫折して引きこもりになることもあるように、もはや大学に行きさえすれば人生が約束されるという時代ではなくなりました。
それにもかかわらず、世の中は「最低限、大学は出ておかないといけない」という固定観念に支配され過ぎている印象があります。
むろん、いわゆる難関大学と呼ばれる上位の高偏差値校に進学する人は基本的に優秀ですから、ある程度の成功や安定を手に入れやすい傾向があるのは事実です。
しかし私は、高学歴だから成功するというより「高学歴であることは、彼らの根源的な思考力の高さの副産物に過ぎない」と考えています。
「最低限、大学は出ておかないといけない」という考えのもと、学びたい内容や意欲が不明瞭なままに定員を割っているような大学、さほど勉強に熱心でなくても入れる大学、あまり勉強が得意でない人たちが通うような大学に、果たして奨学金を借りてまで進学する必要があるでしょうか。それこそ“なんとなく進学”となり、奨学金を返せずに苦しむことになりかねません。
■むしろ高所得世帯にはバンバン振る舞ったほうがいい
これは親の方も同じで、「とにかく大学までは行かせないといけない」「大卒でないと良い会社に就職できない」という呪縛が子を塾や予備校やお受験に走らせ、「子育てはお金がかかる」「二人目が欲しいけど経済的に無理」などという、少子化の要因のひとつにもなっているように思います。
昭和の時代とは違い、いろんな生き方ができるにも関わらず。
そしてダメ押しが政府による「高所得者の児童手当廃止」などといった子育て世帯を軽視した政策です。
高所得者の多くは基本的に子の教育に熱心ですから、彼らにはむしろ逆にバンバン振る舞ってあげて、将来高額の納税をしてくれる優秀な二世三世を量産してもらった方が国のためにもなると思うのです。
そこで冒頭の話に戻りますが、「次世代を担う人材を育てること、優秀な人材に投資することに、親の所得は関係ない」というのが私の基本的な考えです。所得制限を設けるなら教育ではなく他の分野でやればいいと思います。
企業も国家も、最後は「人」なのですから。
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米国公認会計士
1971年岡山県生まれ。中央大学経済学部卒。大学卒業後、東京都内の会計事務所にて企業の税務・会計支援業務に従事。大手流通企業のマーケティング部門を経て、世界的な戦略系経営コンサルティングファームであるアーサー・D・リトルで経営コンサルタントとして活躍。2006年、株式会社プレミアム・インベストメント&パートナーズを設立。現在は不動産投資コンサルティングを手がけるかたわら、資産運用やビジネススキルに関するセミナー、講演で活躍。『捨てるべき40の「悪い」習慣』『「いい人」をやめれば、人生はうまくいく』(ともに日本実業出版社)など著書多数。「ユアFX」の監修を務める。
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<このニュースへのネットの反応>
いや高収入の世帯に奨学金出したらすぐ返済してしまうだろ。ほどほどの金利ですぐ返すにはデカイ金額、そこそこの大学専門学校に行きそうだなって世帯を狙って細く長く広く儲けることが目的で、人材育成なんか考えてないよ。
それを考えろって話やん
そもそも高所得なら奨学金もらう必要がないのでありまして
お。本音が出ちゃってるね。プレオンは、こう言いたいんだよ。貧乏人はどうせアホなんだから金使って学ばせても無駄だってね。そして、より有望な上級国民を優遇し、貧乏人を奴隷化すれば国は立ち直るって言ってるんだよ。まあ、部分的には自分も同意するけど、それで国が立ち直ると考えるのは誤りだ。なぜなら、国を支えているのは、やっぱり愚民の金だからだよ。
金持ちを弾け。
優秀な人間に投資しろ、無能な人間に無駄なコストの投入や余計な借金を背負わせるな、ってのは理解できなくもないけど、それはそれでやればできる人間や遅咲きの人間を取りこぼす*。やってもできない人間や、才能のない人間が多少制度の犠牲になるのは必要経費と割り切った方が良いんじゃね?
そうして生まれたのが現在のチャイナです。才能の有無、資産の有無関係なしに徹底的に競争させ、ダメなら落第者として篩いにかけるなら本当に才能のある人が残るだろうね。まあその後は落第者らの革命で討ち滅ぼされるのが歴史のデフォルトですけど。
人を無闇にふるいにかけると、そこで勝ち残った者は「自分は特別なんだ、だから落伍者には与えられない権利を行使できて当然なんだ」とダメなエリート意識を発露して、結果腐敗するのは中国の科挙で見られる通りですね。奨学金制度は、「自分はこれだけ向学心があるんだ」と証明するための試験で高成績を示せるかどうかで決めるべきではないかと思います。金銭的境遇より本人の資質で。
給付型奨学金でしょ?親の所得とか関係なしに、トップクラスの人間だけでいいのでは?
記事の内容は筋が通っていないが、アイディアとしては一考に値するな。
奨学金は返済が滞ることが多いので、高所得者なら「間違い無く返せる」という採用メリットがあるからな。
国立大学の授業料をタダにすれば済む話
「将来高額の納税をしてくれる優秀な二世三世」こんな連中が増えると思うか?
おっと、給付型か。オレが言ったのは貸与型だな。…はー、やっぱケチだね。金持ちは。
筆者は階級の固定化、格差の拡大がお望みのようで。
親の年収、超関係あると思うが。金には限度があるんだから、返さなくていい奨学金なんてそう大勢に配れるわけがない。親が出してくれそうな人にまで配ったら、本当に必要な人には届かないんじゃ
それと学力と親の年収ってある程度関係するわけで、親の年収が低いのに学力が高いって人は希少だから、そういう人に使ってほしい
私立のFラン潰しまくって金と時間の無駄をなくせば、授業料すべて無償にしてもいいんじゃない?とは思うけどね。そもそも大学が無駄に多い。ドイツ(370校)、英国(167校)、フランス(94校)に対して788校(8割私立)とかバカじゃないの?
いや・・・これはいいんじゃないか。記事は誘導気味だけど政府は子どもが3人以上の多子世帯を対象に拡充でしょ。いくらお金があってもその分だけ子供がいれば、お金は必要になるよ。貧困層は子供が欲しくても産む人数を自重してるだろとか言っても、そんなこと言ってたら少子化の改善なんて見込めないよ。
学費程度でガタガタいうような貧乏人を金持ちにカウントするのか?wwwwww
設備投資と給与アップを期待して大企業の法人税を下げて消費税を上げたパターンの繰り返しのような。
謎な主張だ。無償化した方がマシじゃないか。
就職に有利だから給付受けちゃいかんのか? 優秀なやつが有利な会社でバリバリ働く…それはそれで良いことだと思わない?
高所得層の学生に対して給付型奨学金を支給する必要ない。 中低所得層の学生で理系の成績優秀なものに限定し無条件で給付型奨学金を支給し、その他の学生は大学卒業後、自衛隊に入隊するか即応予備自衛官になることを義務付けた上で給付型奨学金を支給するべき。 あと私立のFラン大学は存在そのものが無駄である潰すべき。
高所得世帯なのに経済的に無理とは一体…そもそも多くの学校が高校大学に行く前提の教育ばかり組んでいて、他方はまた極端に方向性が絞られる。多感で進路を決めきれないだろうに3年区切りでしかレールを切り替えられない構造こそが問題。
「高学歴は根源的な思考力の高さの副産物」とか言ってるお前には思考力が根源的に足りてない
そもそもこの手の奨学金の目的って「優秀な学生を支援する」ではなくて「経済的に厳しい学生を支援する」だろ?
イミフ
家庭環境が子供の学力に影響を及ぼす。塾に通わせられ、大学に開かせるだけの財力がある家庭と、習い事なんて無理、高卒が関の山の家庭とでは雲泥の差がある。そこを埋めようとすることはおかしいことなのかどうか。
プレオンがこう言うって事は、絶対やっちゃダメって事か。
そだよ。この会計士は学費=通学費=地価物価が高い名門に通学する際かかる費用を見ない*だ。昔はね?下宿してたの。お金持ちの持ち家や持ち物件に。金や食べ物の出所は金持ち。そこから寮が生まれた訳だ。大学生御用達の寮。
学生の求める需要とは,学校での学びにかかる費用+日常生活にかかる費用。学校での学びにかかる費用を無償や支援することで,負担を軽減するのが奨学金の目的になるの
そこにだ。そこにだぞ?大人になってから味わうだ。日常生活にかかる費用の負担の話が出てくるのだよ。どんな話かと言えば子供を学校に通わす際の親の負担とだ。子供が大学を卒業し,社会人となった際にかかる日常生活の話だよ。学びなどどこにも存在しない
日本国が世界に自慢できる精神には五輪時にも話題となったようにおもてなしの精神が存在をする。それがどんな精神かと言えばな?他人の家に下宿をすればお世話になります。自分が学びにより社会に貢献するならお世話をします。中間だろうが高所得だろうが子供は国家の世話になる立場。親の世話から始まり。大人が納める税金を使うなら大人の世話になる。
なのにだ。自分よがりのルールを語る。校則がなんだ服装がなんだ。それでお前らは何の世話をする?どんな話をしてるかわかってるのか?人:金。人:都市。人:大学。人:校則。人:服装。どこにも人:人の話は無いくせに。最後は人だとさ。
理解不能だよ
だからね?人:企業の就職語り。使われ人すなわちただの企業の世話になる立場の人が。中間所得で働いてるだけの*なんだよ。そんな世話になる人で溢れた世の中において。奨学金に裂ける金はどこから出るんだ?たかが日常から算出された数値でしかないものをこれが日本国の人なのだとの話をしているだけだ
これが頭で汗をかいただけの*な日本国が描く社会だよ
働けゴミ。学ぶために働けカス。過去を古いだとかさ。下宿も知らぬゆとりめが
記者が言うさ?高額な理学部工学部医学部農学部。学ぶために作物作り。学ぶために健康作り。学ぶために機材を作り。学ぶために理学を作り。高額なんじゃないの。大変なの。頭で汗をかくだけの机上の人ね。要らないの。貧乏人が要らないんじゃないよ?金持ちも要らないの
*でも在れる学ではないんだ。立場でしかない。立場しか語らぬ。人:人の作用も語らぬ。クズは理学ではないの。学生の立場は人ではありませんよ?貧乏の立場もそ。お金持ちも。大人も。親も。あんた人だといいながら立場だがねそれ。皆は全て人の立場に変わりはないが。全ての立場が変わりがないと言えるのかカス。人を省略してなにを吠えている?カス
どんな国であれ皆は人の立場に変わりはないが。はい人を省略します。どんな国であれ皆は立場に変わりはない。国の立場。皆=国。どんな所得であれ皆は人の立場に変わりはない。はい省略。所得の立場。人であることを辞めたカスに人を名乗られる覚えはない。所得の人としての立場を明確にすることなく平等など吠えるカスめ
あんたらにとって理学とは立場でしかないのか。喧嘩売ってんのかコラ。理学の人としての作用を語れば。長い長い古い古い。短いの立場くん。いや新しいの立場くん。いつ理学に対を為す文学を知り。そして理学を知るのかね?
それを中間の層がしてる点は記事の否定と変わらないよ?中間の立場と語れど立場の話しかしない。中間所得の人として。所得をどうするかの話もせず。対を為す高所得低所得の話もしないで。ただ立場を語るクズ。私は万人に言うよ。大学なんか行かなきゃいいがね。なにしに行くんだよ。金のためか。SNSやゲームと変わらんね。金のため。プッ( ´艸`)人だってさ。プッ( ´艸`)
んー…同じ高所得層にもいろんな人がいる。いろんな状況、条件がある。親の年収だけで弾かれる子供が出るのはいかんだろ。 「ケッ、親が金持ちなら泣きつくなりなんなりで金を出させりゃいいだろ。出来ないなら意欲が足りないだけだ」ってんならまぁ収入での足切り論にはなるかもしれんが。
うるさい金だ。黙れ
見渡す限り。立場ぁ~。自由の~。言論の自由ではなくさ?自由の言論だがね。あんたら=自由であるとき。その言論とは自由の言論。ふざけた*だ。気にするな。世界をあげて*をさらしてるから。アメリカの世界の話がだ。世界は私ぃ~。私の語ることが。世界のアメリカなのよ~。なんだこの*は?おい!つまみだせ!
いっぱい居るだろ?大学生=私ぃ~。日本国の大学の話が。大学の日本国。さすがゆとり。*晒せば日本一かつ世界一だ。
金持ちの通学。そこには通学する存在の話がある。通学は金持ちなのよヽ(*`Д´)ノ通学の金持ちの話が始まりました。いよっ。私を前に*晒すと3秒で形に嵌めてやる
イーロンくんはなにか勘違いをしてるのかな?私はこんな奴等が語り合う言論の自由を外から眺めて*にする訳だが
なぁキャット。アメリカの内で居るだけの*に知れるかカス。FTAの内に。EUの内に。世の中腐るほどあるからな。私の偉大な夢の1つには宇宙を証明するが存在するが。内なる地球くんは愉快なおもちゃにしてくれる。大気の内くん。磁界の内くん。半球の内くん。質量の内くん。空間の内くん。次元の内くん。選り取りみどりだ
おいニコニコのうち私が見える輩ども。目ん玉かっぽじってよ~く見とけ。こいつがいう最後は人とやら。中間だろうが低だろうが高だろうが「所得の内」(・∀・)所得とは人が作り上げたマネー社会であるためそれは「人の内」(・∀・)こんな話をドヤ顔して突きつけられてもな。私には*にしか見えないよ(´_ゝ`)
大学が決する所得の高中低(・∀・)変なの。大学に行ったのにやれ返済が
あら大変。大学迎えたのに企業の所得が。なんだこのふざけた*は。一辺*でこい
え~。自分や国や製品を作るを知る。外国人。自分や国や製品を語るだけの。アホな猿。要らね。ゴミだ。
もしもし?就職や所得をアシストする大学やSNSに。時にはサブを手にするための大学やSNS。人生が端から決まってるお前らみたいな*ってさ。金持ちも貧乏もクソもねぇんだよ。*だ。わかったか
端から決まってるSNSの追求ですか。ふざけた世界だなキャット。なにしたろ?もしもし?端から決まってる利用者(・∀・)端から決まってるルール(・∀・)そらぁ。アメリカに嫌われるわな。今は変な*とかが求心してるが。熱されやすく冷めやすい比熱の小さな世界でドヤ顔してても形あるものはいつかは崩れるんだよな
何と言うか何処までも自分達優先な考えだな、くだらない特権意識だけは持ちたくないものだ、基本的に人類みな兄弟以上。
崩れる法則を知るからこそ崩れぬための法則とは導けるもの。なにを崩れと置くかによって。パンティの破れの世界のように後の法則とは変化をするのさ
崩れを知りもしない*が語る保存ほど惨めなものは存在しないな。足元が崩れるのは道理だよ。ケア~。ケアフルケアフルケアが降る~足元溶ける~ズルズル。融解を固めるつもりが溶解してしまいましたとさ
お漏らしはいかんぞ!迷惑だ(´ヘ`;)味など占めてないでオシメを履いてこい(´_ゝ`)
融解は成型。溶解は成熟。経済を指標の温度で語るは成型だがよ?指標を加える混ざるで語るは成熟なんだよな。そんな次元で今を語ってやろか?あいにく私は被れた*になるほど暇人ではないからな。
俺らにも金くれよって気持ちは解るが、学習機会の均等とかの趣旨からは大暴投してんな。