【佐藤優とは何者か】佐藤優のプロフィールと経歴!現代の“知の巨人”
(出典 www.sbbit.jp)

作家の佐藤優さんが、25年ぶりにNHKの番組「クローズアップ現代」に出演することが決定しました。

前回の出演は1999年に放送されたETV特集「シリーズ 混迷するロシア」でした。

その後、東京地検特捜部の捜査を受け、外務省を失職した佐藤さんは、作家として新たな道を歩み始めました。

彼のこれまでの経歴や人物像について、注目が集まっています。

佐藤優のプロフィールと経歴

佐藤優さんのプロフィール

名  前:佐藤優(さとう まさる)
生年月日:1960年1月18日(64歳 ※2024年1月現在)
出生地 :東京都渋谷区生まれ、埼玉県大宮市(現:さいたま市)育ち
職  業:元外務省主任分析官/作家/同志社大学神学部客員教授/静岡文化芸術大学招聘客員教授
小学校 :大宮市立大砂土小学校
中学校 :大宮市立植竹中学校
高等学校:埼玉県立浦和高等学校
最終学歴:同志社大学大学院神学研究科修了
活動期間:1990年代 -
配偶者 :あり

佐藤優(さとうまさる)さんは、1960年〈昭和35年〉1月18日 生まれ、日本の作家であり、かつて外交官を務めていた人物です。

東京都渋谷区で生まれ、埼玉県大宮市(現在のさいたま市)で育ちました。大宮市立大砂土小学校と大宮市立植竹中学校を卒業しました。

埼玉県立浦和高等学校に入学後、中欧・東欧とソ連を一人旅。

同志社大学神学部に進学し、プロテスタントのカルヴァン派に洗礼を受けました。

大学院修了後、チェコスロバキアの首都プラハにあるカレル大学でフロマートカに関する研究を希望していましたが、反ソ主義的な神学者であるフロマートカの研究を行うことは難しいと判断し、一度は断念しました。

しかし、外務省職員として入省し、チェコ語研修を名目にチェコスロバキアに行くことができると考えて1985年に入省しました。

1988年から1995年まで、在ソ連・在ロシア日本国大使館で勤務。

1991年の8月クーデターの際に、ミハイル・ゴルバチョフ大統領の生存情報を外務本省に伝え、アメリカよりも早い情報提供でジョージ・H・W・ブッシュ大統領を驚かせました。

ロシア人脈は政財界から文化芸術界、マフィアにまで及び、情報収集能力はCIAからも一目置かれていました。

また、猪木寛至(アントニオ猪木)にも便宜を供与し、彼の生前まで、親交は続いていました。

1995年から外務本省国際情報局分析第一課に勤務し、2002年に背任と偽計業務妨害容疑で逮捕・起訴され、拘置所に512日間いた後、2005年に執行猶予付きで有罪判決を受けました。

2009年に最高裁で上告棄却され、外務省を失職。2013年に執行猶予期間が満了し、刑の言い渡しが無効になりました。

2005年、自らの逮捕の経緯と国策捜査の裏側を綴った『国家の罠―外務省のラスプーチンと呼ばれて』で毎日出版文化賞特別賞を受賞。

以後、作家として外交から政治、歴史、神学、教養、文学に至る多方面で精力的に活動しています。

1991年ソ連クーデター未遂事件における佐藤優氏の活躍

1991年8月19日、ソ連共産党保守派がゴルバチョフ大統領を軟禁し、非常事態国家委員会(非常事態委)を樹立してクーデターを起こしました。

当時、モスクワの日本大使館に勤務していた佐藤優氏は、クーデター発生直後から情勢把握に奔走し、日本政府に貴重な情報を提供しました。

佐藤氏は、クーデター発生の報を受けて、すぐにソ連政府高官や軍関係者に接触し、情報収集を開始しました。

その結果、ゴルバチョフ大統領がクリミアの別荘に軟禁されていることをいち早く察知し、東京の外務省に伝えました。

また、佐藤氏は、クーデター派の内部抗争や、民衆の抗議運動など、クーデターの行方に関する情報をもたらしました。

その情報は、日本政府がクーデターへの対応を検討する上で、大きな役割を果たしました。

佐藤氏の活躍は、クーデターが失敗に終わったことにも大きく貢献した。クーデター派は、ゴルバチョフ大統領の生存が明らかになると、支持を失い始め、わずか3日間でクーデターは失敗に終わったのです。

佐藤氏の活躍は、以下のような点で高く評価されています。

  • クーデター発生直後から迅速に情報収集を行い、日本政府に提供したこと
  • クーデター派の内部抗争や、民衆の抗議運動など、クーデターの行方に関する情報を提供したこと
  • クーデターが失敗に終わったことに大きく貢献したこと

佐藤氏は、クーデター未遂事件をきっかけに、ソ連の内部事情に精通した外交官として知られるようになりました。

その後、退官後は作家として活躍し、ソ連崩壊やロシア政治に関する著作を数多く出版しています。

佐藤優氏の逮捕と外務省辞職

佐藤優氏は、1991年のソ連クーデター未遂事件の際に、ソ連の内部事情に精通した外交官として活躍し、日本政府に貴重な情報を提供しました。

しかし、2002年、当時衆議院議員だった鈴木宗男氏がロシア外交をめぐる汚職疑惑で逮捕された事件に関連して、佐藤氏は、背任と偽計業務妨害容疑で逮捕されたのです。

佐藤氏は、鈴木氏の外務省分析官として、鈴木氏がロシアの政治家や実業家から受け取った贈収賄の一部を、鈴木氏の指示で、外務省の予算を流用して支出したとされています。

また、2000年3月に国後島で行われたディーゼル発電機供用事業の入札で、三井物産が落札するように違法な便宜を図った疑いをもたれました。

この疑いに対し佐藤氏は、北方領土の事情に通じた三井物産の選定は妥当であり、鈴木の「三井に受注されればいい」との発言を三井側に伝えただけだ、と主張していました。

もしこれらの便宜を図っていたら、佐藤氏の国家公務員生命を脅かすような事態で、非常にリスクが高いが、三井物産から佐藤へは金品の授受は一切なく、そのことは検察官も認めており「動機なき犯罪」とされています。

佐藤氏は、これらの容疑を否認しましたが、2005年に東京地裁で有罪判決を受け、懲役2年6か月、執行猶予4年の判決を受けることになりました。

佐藤氏の逮捕は、外務省にとって大きな痛手となりました。

佐藤氏は、ソ連の内部事情に精通した外交官として知られており、外務省の政策立案に大きな影響を与えていたのです。

また、佐藤氏は、外交評論家としても活躍しており、外務省の顔として広く知れ渡っていました。

佐藤氏は、2009年3月に最高裁で上告棄却となり、有罪が確定し、これを受け、佐藤氏は同年5月に外務省を辞職しました。

佐藤氏の逮捕と外務省辞職は、外務省の体質や政治と外交のあり方を巡って、大きな議論を呼んだのです。

佐藤氏は、逮捕後に出版した著書の中で、外務省の内部事情や、鈴木氏との交流について、赤裸々に語っています。

FAM8

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