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【山田まりや(42)が語る】『23歳で緊急入院し、医者は「もう治ることはない」と…人気絶頂でテレビから姿を消した“本当の理由”』についてTwitterの反応
毎朝フラフラの状態で仕事に行っていた
――1996年に15歳でデビューしてから、怒涛の勢いで活躍の場を広げていきました。
山田まりやさん(以下、山田) 1997年には、『スーパージョッキー』(日本テレビ系)にレギュラー出演するようになりました。
同じ年には、毎週土曜日の夕方に放送されていた特撮ドラマ『ウルトラマンダイナ』(TBS系)にも出るようになっていましたね。
1999年には、遠野なぎこちゃんの親友役として、NHKの朝ドラ『すずらん』にも出演できたんです。
ありがたいことに、グラビアやバラエティだけでなく、演技を評価していただける機会も増えていきました。
――もともと芸能界に興味がなかった少女が、一気にスター街道を駆け上がっていく。体や気持ちは、その状況に追いついていたのでしょうか。
山田 もともと体はそんなに丈夫なほうじゃないし、低血圧でもあったから、毎朝フラフラの状態で仕事に行ってました。
性格的にも周りに気を遣ってしまうほうだったので、現場が明るくないと嫌だったんです。だから常に喋っていて、余計にカロリーを消費していましたね。
――かなりハードなスケジュールだったのでは。
山田 一番忙しいときは、レギュラー番組が11本くらいありましたね。
テレビの収録を午前中に1本、午後に2本もこなして、グラビア撮影は「この時間から撮るの?」みたいなタイミングでやっていました。
時間がなさすぎて、ヘリコプターで現場に移動させられたこともありましたよ。
でも、どうやらそれは、野田(義治イエローキャブ社長・当時)がダブルブッキングしたせいだったみたい(笑)。
当時は忙しすぎて、毎日ほとんど寝ないで、駆け抜けるように仕事をこなしていました。
私のスケジュールがハード過ぎて、マネージャーが音を上げてすぐに辞めてしまうなんてこともあるくらい。
そういえば、野田のところにいた23年間で、私のマネージャーは15人も代わっているんです。
――23年間で15人も。ほぼ1~2年で交代ということになりますよね。
山田 野田の方針のひとつに、「マネージャーは絶対に男性。しかも1年くらい経ったら交代させる」というのがあったんです。馴れ合いになるとダメだからって。
だから、せっかくマネージャーと信頼関係を築いても、すぐにリセットされてしまう。新しいマネージャーは新人を付けられて、私がゼロから現場のことを教えていたんですよ。本当に疲れたし、辛かったですね。
野田にも、その方針だけはやめてほしいと言っていたんですけど……。
人の意見をまったく聞かない人なので。もし私がずっと同じマネージャーでやれていたら、もうちょっと売れていたと思います(笑)。
気づかないうちにストレスが積もり積もっていた
――多忙な芸能生活に、ストレスは感じていましたか?
山田 ストレスはありましたね。
やっぱり大御所の人たちと共演するときは、すごい緊張するわけですよ。
例えば、和田アキ子さんが司会をしていた『快傑熟女!心配ご無用』(TBS系)に出ていたときは、錚々たるメンバーのなかに若造の私が入っていて。
我ながら「どう考えても私だけ浮いてますけど」って思ってましたもん。
もちろん、大御所の方々は皆さんすごく優しいんです。
でも、“生き字引”みたいな人たちと共演すると、やっぱり実力の差を痛感するし、足を引っ張らないように気を張ってしまう。
そういうストレスが、気づかないうちに積もり積もっていたように思います。
――息抜きをすることはなかったのでしょうか。
山田 家がバレたくなかったから、外出もまったくしなかった。
だから、あまり息抜きができなかったんです。
外に出ると、自分の知らない人が自分のことを知っている状況じゃないですか。それに怖さも感じていました。
当時を振り返ると、パニック症や躁鬱病のような症状も出ていたと思います。
撮影がない日は気分が落ち込んで、トイレで吐いたりすることもありました。
私は胃腸が弱くて、撮影の合間に腸がちぎれるくらい痛くなったりしたこともあったんです。
そのときは、脂汗をかきながらトイレに閉じこもって、症状が落ち着くまで我慢して……。
副交感神経が乱れていたせいで、20歳くらいからは夜に眠れなくなってしまったんです。
体があまり休まらないまま仕事を続けていました。
それに、生理痛が酷くなったりもしたんですよね。
低用量ピルを勧められて飲んでみたんですけど、体に合わなかった。
そのとき流行っていたプラセンタとかも打ったけど、全然症状が改善しませんでした。
「仕事がなくなったらどうしよう」という恐怖で休むことができず……
――病院には行かなかったのですか?
山田 いくつか行ってみたんですけど、どこに行ってもストレスと言われるだけでした。
だからずっと、自分が何の病気なのかわからない状態でしたね。
――マネージャーに相談することは。
山田 例えば、マネージャーに「生理でお腹が痛い」と言っても、「つらいっすね」と言われて終わりなんですよ。
だから解決策にはならない。当時のマネージャーが女性だったら、全然違ったと思うんですけどね。
――ご自身から「休みたい」と言うことはなかったのですか?
山田 休むという選択肢は、私の中にはなかったです。
1日でも休んでしまうと、「休んだことで、仕事がなくなったらどうしよう」という怖さがあったから。そうやってギリギリまで頑張ってしまったから、体がダメになっていったんでしょうね。「これ以上やったら死ぬ」みたいな状態になって、最終的には倒れてしまった。
23歳のとき、舞台の最終日前日に倒れる
――病に倒れたのは、23歳のときでしたよね。
山田 そうです。腹痛があまりにも酷く、芸術座(現シアタークリエ)の2ヶ月のロング公演の最終日前日に倒れてしまって……翌日の朝は、点滴をぶら下げながら現場に入りました。
「すみません」と言って、一場(いちば)だけ他の人に代わってもらったんですけど、そのあとは薬で痛みを散らしながら、舞台をやり遂げました。
舞台が終わった瞬間にメイクを取って、そのまま病院の手術台に直行しましたね。
――そのとき行った手術というのは。
山田 そのときは、盲腸を取る手術をしました。
でも手術後に入院して検査をしても、あまり症状は改善しなかった。
主治医の先生にも「このまま入院していても、特効薬があるわけでもない。入院費もかさむから、1回家に帰ったほうがいい」と言われてしまったんです。
私は「わかりました」と言うしかないから、そのまま退院しました。
そして退院後もあまり休まずに、入院中に休んでいた分を取り返そうと仕事を再開させてしまうんですよね。
そのときは確か、大人気旅番組の北海道ロケに行って、お寿司やソフトクリームを食べてしまったんです。
胃や腸の調子が悪いのに……。
難病指定されている「クローン病」の疑い
――さらに症状が悪くなってしまった?
山田 北海道ロケの1日目から、うずくまってしまうくらい体調が悪くなりました。
おかしいなと思って熱を測ったら38度以上あって。
スタッフさんたちが「病院に行ったほうがいいよ」と言ってくれたので、「明日も症状が悪かったら、病院に行こう」と。
そしたら、その日の夜中にガタガタと震えが止まらなくなってしまって、熱も39度まで上がってしまったんです。
嘔吐もするようになったので、慌ててホテルに救急車を呼んでもらって、現地の病院に行きました。
そのあと東京に帰り、盲腸切除の手術をしてくれた病院の主治医の先生に、これまでの症状や、体調不良の原因がわからないことを話したら、「僕の知り合いに、北海道でクローン病の研究をしている先生がいます。山田さんの症状は、その先生から聞いていたクローン病の症状に近い」と言われたんです。
――そこで初めて、クローン病の疑いを持たれた、と。大腸や小腸などの消化管に、原因不明の炎症が起こる病気だそうですね。
山田 クローン病について調べてみたら、難病指定と書いてありました。
医者にも「治ることはないから、うまく付き合っていくしかない」と言われて、絶望的でしたね。
クローン病治療として処方されたペンタサという薬を飲んでみても、全然効かないし。「この先、どうすればいいんだ」って。
鍼灸師の先生に「食べすぎが原因」と言われ、絶食をすることに
――仕事にも支障が出てしまいますよね。
山田 私の仕事は、海外のロケでもバラエティでも、ゲテモノを食べたりして無理を利かす仕事だったわけですよ。
でも病気が治らないなら、それができない。もうテレビに出続けるのは無理だと思いました。“お先真っ暗”みたいな気持ちでしたね。
――そこから、どうやって治療を行うことになるのでしょう。
山田 ある友達が「私の友達の顔面麻痺を治してくれた鍼灸師の先生が、上海から日本に来ているから、その先生のところに行こう」と言ってくれて、その人のところに連れて行ってくれたんです。
そこで、その先生に診察してもらったら、「クローン病ではないね。おそらく、食べすぎが原因で、胃と腸が動かなくなっているだけだよ」と言われて。私は自分が食べ過ぎている認識はなかったので、「私はそんなに大食いじゃないです」と伝えました。
でもその先生には、「いいからまずは絶食して、胃の中を全部空っぽにしよう」と言われてしまいました。
写真=山田まりやさん提供
出典:文集オンライン
![]() | 「3日間の絶食後、真っ黒いモノが体から出てきて…」山田まりや(42)が明かす、“難病疑惑”から復活の裏に“凄腕鍼灸師”の存在 …23歳で緊急入院し、医者は「もう治ることはない」と…山田まりや(42)が語る、人気絶頂でテレビから姿を消した“本当の理由” から続く 1996年… (出典:文春オンライン) |
元HTCフリーク(エッジ画面・撲滅委員)
@aoki3kara23歳で緊急入院し、医者は「もう治ることはない」と…山田まりや(42)が語る、人気絶頂でテレビから姿を消した“本当の理由” | 文春オンライン - https://t.co/iQMjJR8t4p苦労してるな。山田まりあ さん。
はぐれRunner
@nakanakayaman40前後の世代は、グラビアといえば雛形あきこ、山田まりあ、小池栄子あたりどストライクだよなぁ笑#あちこちオードリー