【日本社会の未熟さ】「駅員さんに手伝ってもらうのは申し訳ない」車いす利用者にそう思わせる日本社会は恥ずかしい・・ネットの反応まとめ
新設と配慮、思いやり、遠慮と要求・・・これらの様々な人々の距離感を図るのは非常に難しいですね。
自然なふるまい、当たり前な行動、無理しない社会・・・そんな社会の実現は、人の心の余裕から来るのでしょうか。
■「公共交通を利用するという発想がない」
2021年、東京でパラリンピックが開催された。世界各国から車いすなどを利用する選手が訪れ、改めて日本国内のバリアフリーがどうなっているのかを考えるきっかけとなった。
残念ながら今の日本では、車いす利用者が一人で外出することは物理的にも心理的にもハードルが高い。「車いすの利用者の中には、公共交通を利用するという発想がない人も多い」という話も耳にする。
鉄道やバスで移動する際には自力で乗り降りすることは難しく、スロープを出してもらうなど駅員や乗務員などの手を借りる必要がある。2021年4月には、JRに乗車を拒否されたと報告した車いすの女性のブログがネットで批判を浴びた。
車いすに乗っている筆者の20代の友人は「通学や通勤など決まった駅を利用する場合は、駅員さんにお願いして毎日スロープを出してもらっている。昔に比べるとやさしく対応してくれるようになったのでうれしい」と話す一方、公共交通の不便な点も指摘する。
「無人駅は使えないし、複数の公共交通を乗り継ぐような遠方への旅行では、それぞれ個別に連絡する必要があるので手間も時間もかかって大変だ。また、タクシーに乗ろうとした際に、車いすを乗せられないと断られたことがある。私は気にしなくなったが、ほかの利用者からじろじろ見られて嫌な気分になる人もいる」
■欧米で車いす利用者がストレスなく移動できる理由
厚生労働省によると、身体障害者手帳を持っている人のうち毎日外出する人は65歳未満で33.4%、65歳以上で16.3%という。障害の程度にもよるだろうが、車いすの利用者が積極的に外出している環境ではないことがうかがえる。
一方、アメリカの鉄道駅では、階段だけでなくスロープでもプラットフォームにアクセスできる。車両とプラットフォームとの隙間が小さいので他人の助けがなくても一人で乗り降りができる。
また、バスにも自動開閉式のスロープがついていて、乗務員は運転席に座ったままボタンを押すだけだ。気にならないくらいの短時間でスロープが作動し、車いす利用者が乗り降りしても本人やバスの乗務員、他の乗客に負担はかからない。
ヨーロッパでは、階段や段差などで障害者やベビーカーで困っている人がいたら「手伝いましょうか?」と老若男女問わず躊躇なく声を掛けるし、掛けられる方も遠慮して断るのではなく「ありがとう」と手伝ってもらう。そこで今日の天気や車内の混み具合などについて会話を交わし、乗客の間に和やかな雰囲気が生まれる。
■「物理的バリア」より「心理的バリア」が根深い日本
なぜ海外と日本とで、車いすを巡る環境に差があるのだろうか。
「障害者の社会参加推進等に関する国際調査(内閣府 2007年実施)」によると、ドイツやアメリカでは9割近い人が、障害のある人を前にしても「あまり・全く意識せず(気軽に)接する」と回答している。一方、日本では6割の人が「意識する」としている。
日本社会が障害の有無で区別する点を、障害のある子どもを持つ須藤シンジ氏(NPO 法人ピープルデザイン研究所代表理事)は「この心理的バリアは物理的なバリアより根深い」と訴える。
筆者はこの心理的バリアが、法整備やインフラ整備、情報の出し方、そして外出そのものに対する心理的負担になっているのではないかと考えている。心理的バリアが色濃く残っている要因はいくつか考えられるが、1つは個人の捉え方や社会形成の違いにあるようだ。
■アメリカでは障害者も「個人の自由」を主張する
個人の人権や自由を尊重することで社会全体が幸福になるという「個人主義」と、社会全体の幸福を実現することで個人の幸せを実現するという「社会主義」の2つに分類する考え方がある。
50カ国と3つの地域を個人主義指数で比較すると、上位は1位アメリカ、2位オーストラリア、3位カナダ、4位カナダとオランダ、6位ニュージーランド、7位イタリア、8位デンマーク、10位スウェーデン、となる。日本は22位で、日本を含めたアジア諸国は個人主義の値が低い。
示村陽一氏の著書『異文化社会アメリカ』によると、最も個人主義の値の高いアメリカは、多民族・多人種・多文化社会で、「社会は個々が自立した個人であることを求め、社会システムは自立した個人を助長するシステムになっている」という。
NPO法人ヒューマンケア協会代表の中西正司氏は、アメリカでは障害者も「個人の自立」を主張する活動が活発で、自立生活(IL)運動や障害者の人権をめぐる活動が1970年代の中頃までに形になり、1990年障害のあるアメリカ人法(ADA)につながった、と指摘している。
障害による差別を禁止するこの法律で、個人の人権や自由、尊厳を実現するためのインフラ作りが必須となり、冒頭で紹介したように、障害者でも一人で移動しやすい環境が整えられていった。また海外に軍を派遣しているアメリカでは、帰国した傷痍軍人のためにもインフラが整えられているのだそうだ。
■社会のバリアに困るのは障害者だけではない
一方、日本では個人の自由にあまり重きが置かれなかった過去がある。アメリカなどと比べると人種の多様性に乏しく、家族・学校・企業への帰属意識が重要で、均質的なものからはみ出たものはレッテルを貼られやすい。健常者でも自己の意見を主張する機会や、尊厳・人権について考える機会が少なく、地方部では障害の有無を隠すようなこともあることが、複数の文献に記述がある。
自立を問われず、家族依存度の高い日本では、障害者の社会進出が遅れ、他の人と同じように一人で自由にどこでも行ける権利を主張する動きや、それに対してインフラを整える動きが遅くなる社会体質だったと考えられる。
こうして形成されたバリアフリー問題に影響を受けるのは、障害者だけではない。高齢化が進む中、車いすや杖で移動する人は増えているし、ベビーカーを使う子育て世代にとっても高いハードルになるのだ。
■女性からも「電車内のベビーカー」に冷たい視線
ベビーカー問題は都市部で話題に上ることが多い。コロナで減りつつあるが、朝夕の電車やバスの通勤ラッシュ、女性の社会進出や男性の育児参加の遅れなどが背景にある。
日本は住宅や都市開発とともに人口密度を上げることで民間企業の鉄道事業が成り立ってきた。乗車率が非常に高く、泣く幼い子ども抱いて満員電車に乗れないし、幅をとるベビーカーは折り畳まないと白い目で見られてしまう。
国土交通省の調査では、子育て期を終えた女性が、ベビーカーを押しながら電車で買い物に出かける今の子育て世代に「賛同できない」とする意見もあった。今でも都市部では、通勤時間帯にベビーカーに子どもを乗せて出勤するという雰囲気にない。
公共交通を使う障害者や子育て層のサポートは乗客が手伝うものではなく、乗務員がするものという認識もある。障害者が一人で乗車できるようなインフラが整備されていたら、ベビーカーも移動しやすいだろう。
しかし現実では、既存の建物にエレベーターを後付けしていった駅が多く、どこにエレベーターがあるのか分からない場合や、行きたい出口にない場合はベビーカーを担いで階段を上り下りしなければならない。
■バリアフリー後進国が最初に改善した場所
日本の公共交通機関にはこうした不便な面が多々あるが、少しずつ改善してきてはいる。
約25年前の1998年頃には、東京駅ですらエレベーターがなかったという。当時の鉄道関係者の意識として、駅のバリアフリー化は福祉事業で鉄道事業者が行うものではないとされていた。
公共交通のバリアフリーを推進したのが、2000年の交通バリアフリー法(高齢者、身体障害者等の公共交通機関を利用した移動の円滑化の促進に関する法律)、06年のバリアフリー法、そして改正バリアフリー法などの法整備だ。
バス、タクシー、船、飛行機、建物、道路など全般的にバリアフリーに遅れていた日本は、優先順位をつけてバリアフリー化が進められた。まず着手されたのが鉄道で、1日の利用者数が5000人以上の鉄道駅からバリアフリー化がはじまった。当時はバリアフリーやその費用を負担する意識や仕組みがなく、駅舎のバリアフリー化予算の3分の1を国が、3分の1を地方が負担する仕組みが新たに作られた。
■都市部では少しずつ便利になってきたが…
バリアフリーの対象駅は徐々に拡大されていて、1日の利用者数が5000人以上の駅から3000人以上、さらには2000人以上へと引き下げられていき、鉄道駅のみならず、バス、タクシー、船、飛行機、道路にも広がっていっている。タクシーもユニバーサルデザインの車両が登場し、介助講習を受講することを前提に購入補助をつけている。
ベビーカー問題については、「公共交通機関等におけるベビーカー利用に関する協議会」が設置された2013年ごろを境に、鉄道やバス事業者のサポート体制が徐々に変わってきた。駅構内で階段を使わず、スムーズに移動するための情報をまとめたアプリが登場し、2021年ごろからは駅や駅周辺でベビーカーをシェアリングできる「ベビカル」というサービスも始まっている。
公共交通が発達した都市部ではこのような前向きな変化があるものの、地方部ではバリアフリー化が遅れているのが現状だ。半世紀前からある鉄道駅はエレベーターがなく、反対のホームに行くためには古い階段を上り下りしなければいけないケースは珍しくない。しかも無人駅も増えている。
■バリアの多い地域には人が寄り付かない
車いすなど移動に課題を抱える人にとっては、少しの段差でもすべてがバリアだ。それがあることによって、生活範囲や可能性は大きく縮められてしまい、すなわちそこには住めないことを意味する。障害のある人や高齢者は、バリアフリー化が進んでいない観光地には来てくれないだろう。また、子育てや老後が大変だと思う地域には、若者が住みつかなくなる。
車いす利用者などがストレスなく乗降できるように、公共交通事業者やボランティアなどが連携する体制づくりが大切だ。日本の公共交通は欧州と異なり、数多くの民間事業者で支えられている。そのため車いす利用者は事前に1社1社に連絡しなければいけない状況にある。
ANAやJR東日本、タクシー事業者などが参画している「ユニバーサルMaaS」のように、各事業者が車いす利用者の情報を共有してお互いの負担を減らし、外出を躊躇する人を減らす取組みがもっと広まるべきだろう。
■「バリアフリーが進まない」と批判するのは簡単
時間はかかるがインフラ整備も欠かせない。欧米の鉄道駅では駅員がほとんどおらず、日本のように車両に乗降する車いすのスロープを設置するシーンは少ない。日本も一人で移動できるよう、自動開閉スロープのついた車両開発やバリアフリーの対応の車両購入が進む予算や新たな資金の獲得の仕組みづくりを検討してはどうだろうか。
大切なことは単に「日本はバリアフリーが進んでいないではないか」と批判するのではなく、改善している点は評価することだ。歴史的背景や日本の社会構造を理解しつつ、今後はどう対応していくと良いのか、一人ひとりが考える必要がある。
その際には、移動に困難を抱える人の声が非常に大切になる。「みんながお出かけしているのだから、私も出かけたい」「遠くに旅行に行きたい」。そんな当たり前の気持ちを大切にしてあきらめないでほしい。何が不便と感じているのか、どうすれば改善していけるのか、うまく想像できない人が大部分なので、ぜひ伝えてほしい。
まずは、心理的バリアの存在を知り、困っている人がいたら自然と助け合う。そうすれば、車いすやベビーカーを利用する人が外出に躊躇せずにすむ社会づくりがさらに進んでいくだろう。
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モビリティジャーナリスト
自動車新聞社モビリティビジネス専門誌『LIGARE』初代編集長を経て、2013年に独立。国土交通省の「自転車の活用推進に向けた有識者会議」、「交通政策審議会交通体系分科会第15回地域公共交通部会」、「MaaS関連データ検討会」、SIP第2期自動運転(システムとサービスの拡張)ピアレビュー委員会などの委員を歴任。著書に『60分でわかる! MaaS モビリティ革命』(技術評論社)、編著に『「移動貧困社会」からの脱却』(時事通信社)。
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<このニュースへのネットの反応>
駅員にも通常業務があるんだから予め連絡しとけって話だろ。アポ無しで利用するから「すぐに対応できません」ってだけでさあ。みんながプレオン記者みたいにいつも暇してるわけじゃないんだよ。
車椅子という健常者との相違点を無くして健常者と同じように生活できるようにするって視点が無いのがおかしいと思うんだが。自律歩行パワードスーツ市販化はよ
ちな某共産党の車椅子騒動の時に擁護記事書いてて、あっ察し。
それ「忙しそうだから」って気づかいじゃなけりゃ「こんなことすら出来ない自分が嫌」に通じる「今の自分を受け入れられない」という車いす利用者側の心の問題だったりするんですよ。どこぞの無人駅利用クレームと違ってそこに駅員さんいるんだから
ヨーロッパではそもそも駅員がいないので、自力か乗客に手伝ってもらう前提がある。日本ではそうではない。事前連絡がルールで、当日でもできる範囲でやってくれるじゃないか。
身体障碍者や子育て中の人に限らず、人のお世話になったら感謝する心が大切
お前らが勝手にそういうことを書いてるからじゃねえの 自分たちの書いたことに責任を持たずに逃げてるだろ反日プレオン
健常者・障碍者を問わず何らかのサービスを受けられる背景には相応の労力がかかっている事さえ意識してもらえればいい。
少なくとも自分は頼まれたら快諾するけどなぁ。まぁこちらから「手伝いましょうか」と言いにくいのと同じ理由なんだろうな。お手伝いの必要はないですと言われるのも無理ですと言われるのもいやだものね。断られてもしょうがないね別の機会に、くらいで済む心境が普通になってればいいんだけどね。
俺、車いすユーザーだけど公共交通機関利用の際は駅員がどうこうよりも自分が困りたくないから下調べや事前の手はずは最初に考えるけどね。
>当時の鉄道関係者の意識として、駅のバリアフリー化は福祉事業で鉄道事業者が行うものではないとされていた。 鉄道事業者にとって、バリアフリー化をすれば金が貰えるって事でもないし後回しにするわな
「あまり・全く意識せず(気軽に)接する」って言い換えるとその人の状況に無関心でどうでもよくて、接する時は無意識に健常者と同じレベルのナニカを押し付けてんじゃないの?って思っちゃうね。
JRで車椅子騒動を起こした社民党の常任幹事である伊是名夏子って奴が居ましたね。奴のおかげで障碍者にも屑っているんだなって改めて認識したきっかけになりましたね。流石にあれは極端な例だけど、助けるならありがとうって言ってくれる人を助けたいよね。
アポ取ればいいし、個人の権利を主張するなら相手の権利も尊重しろって話
【身体障害者手帳を持っている人のうち毎日外出する人は65歳未満で33.4%、65歳以上で16.3%という。障害の程度にもよるだろうが、車いすの利用者が積極的に外出している環境ではないことがうかがえる】 ←←← ■いや制度やサービスが手厚いから、本人が家から1歩も出なくても買い物が成立するだけだ。この記者は「詐欺師や大*」のどちらかだ
何言ってんの?思ってくれなきゃ困るよ?当たり前と思わない事だね、勘違いした*がその結果が乙部や夏子なんやで?謙虚さも感謝も忘れた猿になられちゃ困るんだよ
アメリカでは障害者も「個人の自由」を主張する>相手の自由も尊重して、移動の手伝いを断られても悪し様に言わない様に出来ないのなら、自分の権利だけを声高に主張するクズでしかありませんけどね。
「姑に預けられない」環境なんだなぁ、と思われるだけ
相変わらずあらゆる前提や差異は無視で単に他国はこうとだけ言うのね。施設でバリアフリーを進める必要性はともかく、駅員による業務の拡大を要求するなら専用サービス開設して増員するしかなくて当然運賃値上げが待ってる。個人の善意や企業の社会奉仕を義務化しろと言って、そのコストに触れず善意が足りないというのは悪意じゃないのかな
「須藤シンジ」 ← こいつ調べたらヤベーわ。まず生まれも育ちも川崎市在住40年をアピール。錚々たる面々のラジオ番組に出演 → https://spinear.com/shows/up-close-jam-the-world/episodes/up-close-jam-the-world-natsuki-yasuda-36/?page=5
↑ 「須藤シンジ」も出演してる配信ラジオの出演者 の面々 → 青木理 安田菜津紀 堀潤 津田大介 古谷経衡 宮台真司 西田亮介 師岡康子 望月衣塑子 亀石倫子 三浦まり ヒューマンライツ幹部など
要するに「国交省利権」だ。 国交省の大臣は20年以上、公明党が独占してる。女性専用車両もハングル案内板も、駅前の一等地のパチ屋の地上げもな。
自身の事前の準備不足を棚に上げ駅員をネットリンチしあまつさえ被害者ビジネス始める方が自分は恥ずかしい
感謝と申し訳ないの気持ちは、障碍者に限らず持ってなきゃ駄目じゃないですか?それが無くなった人間は必ず尊大な態度をとるようになるからです。最近でもありましたよね、駅員に予め連絡もせず、駅員が少ない駅に降りて多大な迷惑かけた障碍者が。
本当に申し訳ないという謙虚な気持ちがあれば起こらない問題が起きたんだがそれについて弁明は?
何事も手助けしてもらって当然という人がいる。で、不快な思いをする人が出て、同じ状況の時にその人は手助けしない。情けは人の為ならず、とはお互いの思いやりの事だぞ。
他人の手を煩わせることを当然と考えるような自分勝手な人ばかりになる方が嫌だわ。
「してもらって当たり前」って考えで他人を奴隷扱いする障碍者様のせいで親切にしたくなくなってるだけ。厚かましい人の為になぜ、奉仕しなければいけないのか。
自由を叫びながら駅員を奴隷扱いする、その矛盾に気がつかないのか。その行きつく先がマスゴミの擁護する伊是名夏子なんだぞ。
あほくさ、健常者だって誰かに助けられりゃ『申し訳ない』って思うし礼も言う、歳をとろうが障碍者になろうが関係ない、助けられたらありがとう、ただそれだけの話だよ
プラットホームのない駅とか欧米にはゴロゴロあると思うんだけどどうしてるのかな?
まだ伊是名夏子を擁護できるつもりなんですね
手を貸してくれた人に対して「社会が悪いせいで俺様がこんな苦労してんやぞ」みたいな態度取るのは、この記事のようなことばかり吹き込まれて勘違いするのかね
ガチムチ兄貴たちが担いでやればいいんだよ。
パヨオン〜
健常者だろうと障碍者だろうと『手伝ってもらって当たり前』と考えず、手伝ってもらったら感謝の心を忘れずに。そんな簡単なことすらできず、それどころか駅員の対応に文句を言ったのが、あの車いすクレーマー。
海外では障碍者側が理由を述べて「ヘルプ」を言っているのに対して、日本では視界に移ってるんだから健常者が動けという「察して」をするから対応が遅れる。自分からお願いして、「ありがとう」の言葉を述べなければ海外のようにはならないよ。「助けて」と「ありがとう」をいう外人と「察して」と睨んでくる日本人どっちを助けますか?
チップ文化のアメリカと一緒にされてもなぁ。手伝ってくれた職員にチップ渡そうって話なら大賛成ですが
事前に連絡しろ、で済む話。障碍者だからは関係ありません。
プレオンの言う障碍者の自由というのは、乙武のように店に事前に確認を取らずに、店員を僕のように使って階段を抱えさせて登らせようとする障碍者特権の事でしょ。なお忙しいからと拒否されると、店を攻撃させる模様。
乙武や伊是名みたいに他人の善意を利用する障害ヤクザが悪目立ちしてるからだろ。あとは口だけ出してカネは出さない障碍者ビジネスで利益を得てるクズとかな、このクソ記事ことだぞ?理解を得たいならまずは相手に礼儀を払え、これは健常者だろうが障碍者だろうが関係ない。なんで助けてもらう側がふんぞり返って指図すんだよ
男性が気軽に声を掛けると不審者として警戒し騒ぐ団体がいるのですけれどね。変質者だの不審者だのセクハラだの謂われない罪を被せられぬよう手を貸す人が減ってきたのでは無いでしょうか。つまりフェミニストが悪いのですよ。
事前に連絡しとけば物理的に不可能なことを除けばきっちり対応してくれるだろ。アポ無しで突撃して文句言ってる例の*みたいなのがおかしいだけ。
「やって貰って当然」とかいう巫山戯た発想は嫌われて当然。健常者も障碍者もあるか。障碍者が社会的なお荷物であり、他者に迷惑掛けなきゃ生きていけないのは事実なんだから、感謝の気持ちくらい持て。
自分の自由を追求することは他者に不自由を強いるのと同じだということを理解しておくべきだし、そろそろ人権の保有条件に羞恥心と罪悪感を追加してほしい。
エスパーじゃねぇんだから声に出さなきゃ誰も助けてなんてくれないぞ。そして手伝ってもらったら”ありがとう”だ。別に礼を言うぐらいで何か減るもんでもないのに何が嫌なのやら。
プレオン記者は他者に感謝したり、譲り合ったりしたことがないって自白してるようなものだな。まるであの人達みたいだ。
日本は駅員に手伝わせた後乗車拒否されたって騒いでその後日本人は弱者に冷たいと騒ぐんだろ
障碍者だから利用できるシステムはあっても、甘させてくれて尽くしてくれるシステムなんてねーんだわ。勘違いすんな。対価以上の働きなんて期待すんな。それでも優しい人も居るけど出会えたらラッキーくらいに思っとけ。当然と思うな。人以上に扱われると思うんじゃねぇ。
日本の点字ブロックや縁石ブロックのバリアフリー化について知っていますか 世界で一番進んでいて常時拡大させているんですよ(※点字ブロックは日本が最初に使い始めた) 車椅子で生活出来るなんてそれを購入出来ない者(人・国等含めて)からしたら超贅沢品で更に(盲目の人に対して)音声案内(音だけ含む)やアプリの充実も他国と比べ物に成らない位に充実してるんですよ
感謝しないで文句を言う・更なる贅沢を言うのは幼稚を通り越してヒト扱い出来ないほどのゴミですよね(※文字制限の所為で分割 文字制限嫌いです)
車椅子で電車利用者、駅員横に立たせて自分はスマフォ弄ってて感じ悪すぎるんだけど
乗降車の手伝いを気兼ねなくお願いできるようになったとして、感謝を忘れていいわけでは無いよな。ただそれは健常者にも言えることで、毎日時間通りに安全に運行してくれる日本の公共交通機関には感謝しないと。ここのコメ欄にも「障害者は迷惑かけてんだから感謝は当然のこと」みたいな意見がちらほらあるのは気になるね。
サービスはただじゃないしサービス業は慈善事業じゃないんですよ情報弱者なんだか知らないふりしてるんだかわかりませんけど。社会に支えてもらわないと生きていけないんだから手厚く保護させて当然みたいなツラぁしてたら*まで遠巻きに見られますよぉ?
制度自体はあるんだから使うことに躊躇わないで欲しい。ただ、やって当然、自分たちは優先されて当たり前という発信の仕方をするノイジーマイノリティが目立ってるから障碍者間でも注意して欲しいのは事実
車椅子に対しての意識の違いというのもある。病院とかに置いてある簡易的なものはそこそこの重さだが、日常的に使われるものは嵩張るし結構重い。事前に断っていても受ける側の見積もりが甘いことは多々ある。
社民党のあのカスみたいなのが居るから、障碍者が勘違いされるんやで。そしてプレオンがこういう記事書いてる時点で、もううさん臭さしかない。そして中身は案の定だったw
プレジデントオンラインの本社(東京都千代田区平河町 2-16-1 平河町森タワー13階)の周辺って車椅子にはかなり大変な地形と面倒臭さがあるみたい何ですけど 自社で出来てから他者に注文して貰えませんかね~?(煽り) ストリートヴューを見た感じでは出入り口が分かり難く周辺の凹凸も沢山有りますね 「自社ビルじゃないから」は理由に成りませんよ(煽り)
健常者もない障害者もない。お互いが理解しあい配慮しあえる社会が望ましい。昨今の障害者様の横暴はそんな社会の実現を阻害している。申し訳なく思う必要はないけど人として感謝はしようよ。
こいつら「SDGsガー」とかほざいてる割に、各国の国民性とか文化事情とかに優劣つけたがるよな。多様な文化に対して理解を示せよ。
心理的に「健常者と同じように扱われる」というのは「他人なら配慮などされないのが基本」ということでもありますからね。だからこそ日本には昔から「おかげさま」「お互い様」という言葉があるのです。伊是名氏をはじめとした「声の大きな」障害者の方には、そこがどうも理解できないようですね。
あと地方では、自動車の普及に伴って、そもそも公共交通自体が利用されず、縮小傾向にありますので、健常者でも一人での移動には苦労するんですよ。バリアフリー化したは良いけど業績悪化で廃線じゃあ意味が無いですよね?
車いすの前輪が小さすぎる。12インチくらいにして緩衝機構も付ければ、階段は無理にしても普通の段差は大丈夫じゃないかなぁ。
「駅員が手伝うのは当然」と車いす利用者にそう驕らせしまう日本社会のほうがよっぽど恥ずかしいわ!
この自分で居場所を削っていくスタイル実はアンチだろおめー
毎日クソみたいな怪文書載せてる奴の方が恥ずかしいから
体だけではなく共助ができない心の障害者
しかし現実には自分は車椅子なんだからサービス受けて当たり前という人間の方が圧倒的に多いんだよなあ。バリアフリーが進まない理由ってそこじゃね?
卑屈になる必要は無いが感謝は忘れんようにせんとなぁ。あと観光地の下りだがいくらバリアフリーの為とはいえ歴史建造物に手を加えるのはマズいと思う。
申し訳ないという気持ち、慎ましくありたい気持ちって、日本人の根っこの部分だと思うのですが。 やはりメディアは日本をぶち壊したいんだなぁという感想です。
いきなりアポ無しの土足で踏み行っても、サッとライターの火をもらえるのが当たり前とかばかじゃねーの?こんなんに屈していったら、国内の全部が多目的トイレになる日も近いか?
そうか。プレオンがクズ記事ばかりとはいえ、記事の中身を高齢者・障碍者に的を絞ればおのずとそちらにニコ動のクズ共の視線はそちらに敵意持つわけだ。考えたなプレオン
そもそも今の欧米はポリコレ同調圧力社会。「心理的バリアの存在を知り、困っている人がいたら自然と助け合う」なんて「困っている人」を自分の好みでの選別や助け合いでは無く一方的な利用では?。それに介護タクシーや自家用車などを使えば済む事を何故か鉄道に固執。今は鉄道の経営が苦しいからバリアフリー化なんて廃駅や廃線の原因になりそう。
いや、他人に余計な手間かけさせてるんだから申し訳なく思っとけよwww障害者様かよwww(^oo^)
もしかしてプレオンとかいうゴミは社民党員がJRの駅員さんに業務妨害した挙句、被害者面してネットにウソ書き込んでソレがバレてボコボコにされた事をみんな忘れたとか思って、こんな捏造記事書いたの?
互いに相手に気遣いを持てば起きないいざこざなのに配慮に欠ける我儘言うからそっぽ向かれるんだよね。
車椅子利用者「いつもすみません」駅員「いえいえご心配なさらず」互いに気遣いあっている状態を日本人の美徳ではなく恥と考えるこの記者とは友達になりたくないなぁ
プレオン怒涛の日本叩き記事連発
記事中に出てきたベビーカーの利用について、それは単に周囲が冷たい云々ではなく、通勤時間帯の交通機関の混雑具合だと純粋に危険だから避けるべきってだけの話。急停車で人が雪崩れてくると大人でも危ないのに、ベビーカーが必要な乳幼児じゃ命に関わるでしょ。コロナ禍の昨今なら混雑具合もまだマシだが、それでも真っ当な判断ができるなら回避できるリスクは回避して然るべきでは?
駅員だろうが周りの乗客だろうが手伝ってもらったら申し訳ないと思うのが当然だと思うが
社会にお世話になっている側の人が社会に文句言ってるんだもんなー。まあ一部のおかしい奴のせいで車椅子のってる普通の人は肩身が狭いんだろう
そうやってセーフティーネットに頼れず、頼り方も知らず*でいく人間がいるな。実際その心理的壁は大きいのは確かだ。それを最低限も出来ない奴なんて見捨てて是とする社会はいけない。
またIZENAババアか
手伝って当然だ、手伝わないなんて権利の侵害だ、ってか。そうやって勘違いした奴が大声で大げさに権利主張するから、他の障碍者も同じレベルのおかしい奴って思われるんだから止めてくれよ。
人の善意をどう受け取ろうが貴方の勝手ですが,悪意ある受け取り方しかしないのは拗らせ過ぎだろう。
そんな他人の考え方になんちゅー無茶苦茶な難癖してくるねん(-_-;)
手伝わせるのを悪だと思う必要はないが、手伝ってもらったら感謝はしろ。 心理的な壁以前に「駅まで+乗る駅+降りる駅で(乗り継ぎ/乗り換え無しですら)3回車いす対応を確保しないといけない」という面倒さを理解してるのかね?面倒くさいってのは、健常者でも外出を控える理由として挙げる部分だよ。
心の障壁がどうこうというのならいっそ有料サービスかチップ制にしたらどうだ? 申し訳なさとか一切感じずに済むぞ?
障碍者、健常者。どちらも手を取り合う社会がいいのに"どっちか"でしか語れないマスゴミが何言ってんの?
またまた欧米ですか?本当に調査しましたか?欧米の人が駅での車いす乗降下車のビデオ見て素晴らしいとのコメントを見かけるのですが、私の勘違いなんでしょうか。それに、私が利用する駅ではしばしば駅員の補助で乗車下車するシーンを見かけますし、利用について不備は認められませんですよ。どこの地域のお話なんでしょうか?
「大切なことは【略】批判するのではなく、改善している点は評価することだ。」←自分が付けた記事のタイトルをよく見てから発言しましょう
日本人にとって恥ずかしいのはプレオンみたいなゴミ屑共が記事書ける自由があることなんだよなぁ。
「やってもらえるのが当たり前」の事でも、感謝の言葉・お礼の言葉は言いましょう。 言ったって貴方の財布の中身が減るわけでもあるまいし。
健常者が傲慢で無理解だというなら障害者だけで暮らせよ。健常者の人権を侵害するなヘイト豚。
駅員がいるんだ・・・。な地域からするとねぇ。そんな投資するくらいなら廃線にしちまえ。でしょJRさん
外出困難者がテレワーク環境でロボットを遠隔操作して就労する社会実験があってね。ビジネスとして難しかったとしても、介助、清掃など障害者による社会貢献がもっと一般的になれば、遠慮しなくていい社会に近づくのでは。
手伝ってもらって当たり前だと思うような人間が育つような環境にはしたくないな
まともな障害者は駅に連絡とサポート1人はつけるよ。日本の駅は元々バリアフリーじゃないだろ?今までどうしてたんだよ?って話よな。まともじゃない障害者が暴れるから障害者同志生きづらくなんだよ。
別に申し訳なく思わなくてもいいっスよ。ただちょい前の発狂*みたいに文句を喚き散らすの前提で手伝え言うのが論外なだけで
×そう思わせる日本社会 ○そう思えるのが日本人